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文系はコミュニケーション能力という名の処刑斧を振るった

「コミュニケーション能力」という言葉には2つの意味がある。1つは「波風を起こさない能力」という意味で、もう1つは「腹芸をする能力」という意味だ。両者は意味合いとしてはかなり遠いが、とりあえず同じ記号で表されている。

文系はコミュニケーション能力という名の処刑斧を振るった - うさだBlog / ls@usada's Workshop

これは納得できたコミュニケーション能力という物の解説。

「波風を起こさない能力」というのは、
(中略)
「多数派に埋もれる能力」とか「長い物に巻かれる能力」と言っても良い。いわば「多数決によって構成された『空気』という神の名のもと、異端を死刑にする宗教」である。一般的に空気が読めるとか読めないとかいう問題はこの能力の有無を問うている。

空気読めというやつですね。中略部分に例が書いてあるんだけどパワーバランスを見て最適な行動をとり問題を起こさないようしましょうとそういう感じですね。

一方で「腹芸をする能力」とは、
(中略)
相手との差によっては「他人を支配する能力」と言い換えても良い。腹芸をする能力がない人間が相手の場合は「支配」であり、そうでない場合は「腹芸」になるという事だ。

相手のスペックを見極めて弱点や隙をつくアプローチ方法という感じでしょうかね?確かにこれが出来ないと何も通らないんだよね。昔全然出来なくて苦労した。

これは現代社会が文系/体育会系支配になった決定的原因である。商人と政治家が強大な権力を持ち、職人や技術者がゴミ溜めに追いやられたのは、後者がこの能力に乏しかったからである。

日本人の気質なのか内にこもるなら、こもるで他の能力(技術力は伸ばすがコミュニケーション能力を伸ばさない)を伸ばさない事が多い?ので自らが作り出してしまった地位とも言えるのかもしれない。海外だとバランスがよいのかわからないが全体的にどの分野の人でも自己主張が強いような気がする。というか、自己主張が強いからメディアに出てきたでそのように思うだけかもしれないけど。

詰まるところ、コミュニケーション能力とは、本質的には単なる多数決システムか、あるいは行動支配手法の別名でしかない。字面から「自分の意図を正確に相手に伝える能力」などと思い込んでしまったら終いである。この言葉に限った事ではないが、本質が汚い物ほど美しい名前が付き、何者かの意図によって意味が曖昧に「され」やすい点に注意すべきだ。言霊の怨霊はいつでも殺意に満ちた目でこちらを見つめている。

あー納得とかおもた。
仕事ではコミュニケーション能力というものを使って先行してネゴして裏で調整とって置いて公の場ではすでに決定していると言うのが日本的な方法だと思うので多数決に勝つための方法というのは納得。


うーん、今の社会で美味しいところを少しでも拾いたいなら必要な能力なのかもね。めんどくさい人は甘んじて現状を受け入れろという事なんでしょうかね?
まあ、また世界のバランスが変わってきたら拾う人が出てくるのかもしれないけど。混沌ということで・・・。(まとまってないね)